今日からHSP・社会不適合者のわたしが感じてきたことや、自分の特性との向き合い方について書き綴っていこうと思います。
HSPの自分がしんどくならないように更新していきますので、日記のように読んでくださると嬉しいです。
毎週月曜日になると思いだす「普通に働く」のが辛かったこと
月曜日になると、自然と会社で組織の中で働いていたことを思い出します。
月曜日の朝の車の騒然とした感じ、周りの人々の「月曜日か……」という絶望した顔つき、
旦那さんのため息。これらを見たり、聞いたりすると、自然とフラッシュバックしてくる、会社員時代。
毎日電車に揺られ、会社に着くころにはHPがごっそり持っていかれている。
会社に行くまでの道で同僚や同じ支店の人たちに会うのもしんどい。
まさに心がすり減っていく日々でした。
自分の仕事が手一杯でも誰かに頼まれると断れず、一生懸命育ててきたパートさんはいきなりボイコットをおこし、ひと月に数人辞めていく。
将来的に自分を助けてくれる人を育てようとしても、それが無意味と化す事態に、毎日疲れきっていました。
上司にいっても、「みんな大変。お前だけじゃない」ということをいわれて、6年半。
毎日、毎日、やりたくもない仕事。この仕事に微塵も魅力を感じなくて、自分の本心と現実のはざまで揺れてばかり。
「いつになったら気持ちは楽になるの?」そればかりを考えて過ごしていました。
やりたいことを見つけて「えいっ」と会社を辞めてみた
新卒から働いていた銀行を親に相談もなく、6年半で辞めました。
それまでは、どこか心の中で「止めてほしい」という気持ちがあったので、親に相談していましたが、6年半経っても変わらない「心の現実」に相談もなく、上司に退職の意を伝えました。
当時26歳のわたしは、「エステティシャン」になりたくて、やりたいことをおっかけるために銀行を辞めました。
辞める1年前から毎週末、東京の学校に通って、美容を学ぶ日々。
その1年間は、これまで送ってきた日々とは比べものにならないくらい「輝いた日々」でした。
「やりたいことをまっすぐやる」。
これがどんなに人にパワーをくれるのかと、それを実感した瞬間でもありました。
「最近、イキイキしてるね」そういわれるのが嬉しくて、嬉しくて。
銀行を辞めた後悔なんて、いまだに1ミリもありません。笑
実体験を通して学んだこと:心が疲弊する毎日にピリオドを打つ
26歳で銀行を辞めて、自分が本当にやってみたい職業に飛びついた私。
お金とか見栄とか、そういう「外側」の部分だけをみて職業を決めると劇的に続かないし、心が疲弊するのだと感じました。
私は、親に「銀行に勤めている娘」として見られていたのが分かっていたので、親の期待を裏切れず、ずるずる時間ばかり過ごしてしまいました。
しかし、今やっている仕事が自分に合っていないと肌感覚で分かっているのだとしたら、なにかしらのアクションを起こしてもいいのでは?と感じます。
私のように興味のある分野を学んでみるとか、なにかの資格を取ってみるとか思いつくことを1つずつという感じです。
「今そんなことしている余裕ないよ」という声も分かります。
当時の私もそんな余裕ないって思っていました。
そんなときに、やりたいことをまっすぐにやっている人に言われたんです。
「いつやるの?今でしょ!」って。(当時、林先生はまだメディアに出てきていなかったので、勝手に言葉を置き換えました。笑)
私は、今もあのときの言葉に感謝しています。
結局、エステティシャンにはならなかったけれど、自分の「やりたい」を突き詰めた結果「Webライター」という職業にたどり着けたからです。
現状を変えたければ、何かを変えてみて視点を変えていく。思考を変えていく。
それが大事なのかな、と実体験を通して感じました。(偉そうなことはまったく言えませんが)
私は自分が経験していないことは口が裂けてもいえませんが、自分が経験してよかったことは書き記し、誰かの役に少しでも立てばいいかな、と思っています!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!